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友達の結婚式に行ったりとか

してみたところ、このブログの前身時代から見ていたというかたにあったりとか、でも一昨年ぐらいから見ていませんとかいっていたりとか、じゃあもう見ないほうがいいですよと言ったりとか..............

あな悲しきかな人生よ。

いつから君はそんなに残念な人になったのと言われて、まぁ元々ですと言うような、そんな、いかさんまでございます。

とりあえず、今はとらドラが好きでしたが、あの面子においても大河と言われてわかる人はいなかったことがあな悲しきや。

全然関係ないけれども、

羅川真里茂の『ニューヨーク・ニューヨーク』は「やおいBL」か?

これを言ってしまえば、カルフォルニア物語がAmazonでBLに分類されていたことに、憤慨するべきではなかろうか。
まぁ、BLとは何を以ってBLと位置づけるべきなのかと言う問題点はつねづねあるわけです。

ただ、BLという特殊世界から更に奥深く、少女マンガの求める世界と言うものがあると思っていて、カルフォルニア物語もNYNYもBLよりも更に一歩踏み込んで、少女マンガと言うものの求める世界を表現しようとしているのではないかなと思ったりしたりします。

BLという世界がそもそもな何者なのかと言うこともあるわけですが、少女マンガに何を求めるのかという根本的な疑問もあります。

少年ジャンプが、努力友情勝利という分かりやすい三原則に書き下されているように、少女マンガにもその求める世界があるのではないかと思います。

それが、女の子の憧れる世界という形なのかもしれませんが、その世界がどういうものなのかということが、80年代から描かれてきた世界、カルフォルニア物語、BANANA FISHなどで更に奥深く広げられた気がします。そしてその究極系がNYNYなのかなとも思ったりいたします。

愛と言うものに憧れる少女がいたとして、その愛とは何者なのかと言うことを真剣に考え抜いていくと、同性愛や殺人と言うレベルのものまで受け入れるべきなのかどうなのかと言うことを考えていかなくてはいけない。

愛とは人を不幸にするものだと言う理論を聞いたりもするわけですが、その愛とは具体例としてどんなものがあるのか、そしてそれはどこまで人を幸せにし、不幸にするのか、その本質を巡る過程と言うものが、これらBLに分類されてしまっている漫画に凝縮されているのではないかと言う気もいたします。

恐らく、今のご時勢でBLと言うと、単純に男の子と男の子が耽美に美しく、愛し合うみたいな世界を楽しむというただそういうある種歪んだ部分が、とられているわけですが、もともとはそれは少女マンガの求めるものと言うテーマから生じた部分なのかもしれません。

そこまで考えると何を持ってBLと言うべきなのか非常に苦しむわけです。

確かに、NYNYやBANANA FISHをBLと簡単に言っていいのかと言う議論は生じると思います。

ただ、そのときにBLの求める先と少女マンガの求める先にどんな差異があるのかということをはっきりさせるべきではないでしょうか?
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